素敵なひととき

入門用にカテゴライズされたNLPです

そういう批判もあったから、あえて知識の問題を土俵に乗せるという意味合いもあった。 私か、知識か思考力かといった単純な議論の上に教育改革の問題点を衝いているわけではないということは、たとえば、96年に出した『知的複眼思考法』(K談社)や98年に出した『学校って何だろう』(K談社)といった私の本を読んでもらえれば、わかる人にはわかるはずだという見込みもあった。
大学教師としてはまさに『自ら学び、自ら考える』教育を実践してきたという自負もありましたから。 それまでの学力論争のように知識か思考力かという二分法の議論に陥ることは避ケタかった。

それほど複雑なことを覚えるわけではないのだし、それこそ語呂合わせでも記憶できるような年号をわざと例に挙げたのも、それくらいの知識の伝達でさえ詰め込みとしかとらえられない議論の偏狭さへの異議申し立てでもあった。 14世紀前半に幕府が滅びたくらいのことは小学校でやるのだから、それくらいのことを(文科系のT大生ならなおさらのこと)知っていても何のじゃまにもならないし、1332年か3年か4年かという間違いに目くじら立てる必要はないだろうけれど、少なくとも14世紀の前半だということを知っていなければ、モンゴル帝国の膨張といったS史とのつながりだってわからない。
歴史のつながりを後世の人間の特権として考えるためには、ある程度の年号の知識も必要です。 年号だけでなく、最低限、重要な歴史的事件については、何がどういう順番で起きたのかを知っておくことも、じゃまになる知識ではない。
それなしに、歴史的事件を材料に、社会の変化について考えようにも考えられない。 そう考えると知識は思考力の基礎になりますよね。
最後はそうやってちゃんと話せばわかってもらえるだろう、という確信がどこかにあった。 それにあまりに短絡的な知識批判にも何か言いたかった。
だから、最後は『鎌倉幕府』を使われてもいいやと思ったわけです。 予想以上の批判でしたね。
書かれたものだけでなく、聞こえてくる批判.非難もすごかった。 正直、もう問題提起をするのをやめようと思ったこともあります」「私にとってこの論争は個人的には何の得にもならない。

つまり、1川伸一さんの本での整理にしたがえば個人としては『利害関係者』ではない。 理科系の人たちは特に数学理科の学力についての危機感とか、経済学の人たちは経済学を教えるうえでの数学力についての危機感であるとか、そういう意識が指導要領批判に向かったという見方もあるようです。

情報満載のNLPの情報はこちらです、NLPの専門サイトは今すぐここからアクセス。

NLP セミナーのことは後回しにして生きてきましたが、いつかはNLP セミナーと向き合う日が来るということはわかっていました。